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2009 World Baseball Classic Final
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日本の優勝が決まった瞬間、ちょうど真後ろに座っていた王前監督らとハイタッチで喜び合ったという、私の父(大の巨人ファン&王・長嶋世代)が聞いたら卒倒しそうな大変ありがたい体験をしまして。

同じく王前監督の隣に座っていた加藤NPBコミッショナーも喜びをもう爆発させながら「旗をくれ!旗!」というので、私が持っていた日の丸の旗を1本差し上げ、その日の丸を喜び勇んで振りながら日本代表のダグアウト中へ。

加藤NPBコミッショナーといえば、シャンパンファイトでコメントを噛んでイチローからツッコミを受けてた方なのですが、とにかくすごく一生懸命応援されてたのが印象的。

ちなみに閉会式&メダルの授与&日の丸を手に選手が場内を一周の場面は、ちょうど席の目の前に関係者やらマスコミの人がやたら多すぎてまったく見えませんでした。色とりどりの紙吹雪が頭上に降り注ぐだけ。それだけがちょっと心残り。



帰宅後さっそくカメラのSDカードをPCのメモリスロットにさして、わくわくしながらフォルダ開いてみたら・・・なぜかほとんどイチローの画像ばかり。どんだけ好きなんだ自分。

こちらイチローファン限定。



それにしてもアメリカでは今回もあまり盛り上がっておらず見事にスルーしててちょっと悲しいです(涙)
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by cabayarea | 2009-03-27 08:43 | ( ゚д゚)
On the Balcony
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3ヶ月以上も待ってやっと我が家にやってきたソファーを最後に、家中の家具がすべて揃いやっと落ち着くことができた今日この頃。

それまでに修理やら工事やら手続きやらで毎日なんだか落ち着かない日々を過ごしていたのですが、アメリカでは最後の住処にしたいと思うほどに気に入っています。

それはやはりこの景色のせい。なのでしょうか。


a0027492_15481268.jpgリビングルームの目の前に広がる太平洋の海。

この素晴らしい海の眺めはもちろんなのですが、何よりも、眺めを遮るものもなく(椰子の木はありますが・・・笑)、景色が真正面にどーんと突き抜けているので単純に気持ちがいいのです。



毎日こんなにも眺めたことがなかったので、海の表情が日々まったく違うことに気づいて驚いてみたりもしました。

a0027492_15535166.jpg夕日が感動的に綺麗な日には、夫婦揃って夕日を激写してみたり。(林家ペーパー子夫婦状態)
冷たい風が強く吹きあれる日は、白波がたちまくるシケ模様の海を見て興奮してみたり。(気分はすでに兄弟船状態)
当たり前ですが海だから夜は本当に真っ暗で何も見えないので、なんだか少し損した気分になってみたり。(東京湾の眺めについ憧れてしまう)



a0027492_162392.jpgさてさて。
こんな素敵な眺めがあるのにバルコニーを積極的に活用しない手はない!と、改造計画に乗り出すことにしました。まずは味気ないコンクリートむき出しの床の改造です!

ご覧の通り「Wood Decking Tiles」は特別な器具もいらないし、パチンパチンとはめていくだけで簡単にバルコニーへインストールすることができるので女性でも楽々に作業することができるのです。

a0027492_16242959.jpg1人で黙々と作業すること1時間。
タイルをどう配置するか(タイルを置く向きで印象がまったく違う)結構悩みましたが、なんとかベランダならぬ我が家の「デッキ」がついに完成! そしてリビングからデッキへそのまま素足で。
うはー!
いやはやこれがものすごく快適なのですよ~。

ちなみにこのウッドデッキですが、やはり素材の品質=耐久性やメンテナンスが懸念点でした。
いろいろ調べた結果、近年では耐久性がありメンテナンスを極力必要としない素材が研究されていて、その中でもハードウッドと総称される常緑広葉樹を使った材木が人気なのだとか。ということで私はIpe(イペ)と呼ばれる素材のウッドデッキを購入しました。


a0027492_17131284.jpgそして!
念願かなってやっとついに"My BBQ Grill"をベランダに設置することができたのです♡ これまではベランダが異様に狭かったり、禁止されていたりと機会を失っていただけに喜びもひとしお。

さっそくグリルを組み立てて、本体にガスボンベをつなげてさあ点火!とスイッチをひねりましたが・・・アレ?
まったく火が着きません着きそうな気配もまったくしません。

な、なんでー(涙)_| ̄|○/iiii


a0027492_17181072.jpg涙ながらに購入したお店に持って行くとお店の兄ちゃんがそっけなく「あーそれ"空"のボンベ。中身はガソリンスタンドで詰めてもらってー。」

( ゚д゚) ポカーン

・・・じ、自分でガスを詰めるだとー!


a0027492_17182388.jpgというわけで、まったく無知な自分を反省しつつトボトボと店を後にし、ぐるぐると近所のガソリンスタンドをハシゴし、そしてやっとガスをボンベに充填してくれるところを見つけました・・・。

持ってきたボンベを見たお兄さんは、その小ささに思わず ( ´,_ゝ`)プッ としていましたが、とても親切に対応してくれました。ちなみにガス代はこのボンベの大きさで$5.00。アメリカ人は一般的にもっと大きいボンベを使用しているのでしょうね。


a0027492_1814830.jpgということで私の「初BBQ on the Balcony」は、出足は挫かれたもののなんとか無事終えることができました。

┐(´ー`)┌ ヤレヤレ
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by cabayarea | 2007-03-26 18:06 | ( ゚д゚)
Car navigation thefts
やられました。

とうとうやられてしまいました。

いつかはこの日が来るとは思っていましたが、何もこんなときぢゃなくても……。



前回の「つづき」といって話をひっぱっておきながらまたもや大変個人的なことで恐縮なのですが、実は「車上荒らし」にあってしまいまして一家揃って落ち込んでいたというわけです。車なくしては生活できないとまで言われているこの車社会LAでは結構なダメージなわけで・・・。というか精神的ダメージのほうが大きかったりしますはい。



親知らずの抜歯後、まるでこぶとりじいさんのようだった腫れもすっかり引いて、痛みもずいぶんと治まった1週間後のこと。13時に予約してあったfollow-upのため病院へ向かおうと駐車場に行くと、相方が「エ?アレ~?」と素っ頓狂な声をあげました。

なぜかクルマの周りにはなぜかこなごなに細かく割れたガラスが散乱しているのです。

えっ?!Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) と思わずお隣さんの車を見てしまった私。そうです割れていたのはもちろんうちの車。運転席側後部座席の窓ガラスがまるごときれ~いに割れていました。

まさか自分の車がやられたとはこれっぽっちも思っていなかったのは私だけではなかったようで、私が「うちの車がやられているよ」と声をかけるまでうちの相方は気付きもしませんでした。「え?!うそ!?うちの車ー?!」と叫んでいましたから。こういうちょっと抜けているところがなにげに頭にきてしまいます。

a0027492_2344275.jpgまだこの時点でなぜ窓ガラスが割れているのが気づかなかった私たち。石が飛んで当たったとか何かで単に割れただけと思っていたのです。
その窓枠だけになったところから車内をのぞくと、座席にもガラスの破片が。あ~あこりゃ掃除が大変だ・・・とゲンナリしてふと前方を見上げるとなにやらブラブラ揺れているものが。



ガ━━━(゜Д゜;)━━━ン!  ←相方の反応(無言だった)

「・・・! うおおおおおおおおおおおおおおおおお?!」  ←私の反応



a0027492_2355758.jpgまるでその部分に隕石でも落ちてきたかのごとくコンソールボックスがもうぐちゃぐちゃなんです。「ぐちゃぐちゃ」というよりもうそのコンソール部分すべてが「バキバキ」に壊れていてもはやこれが自分の車だとは思えない&信じられない状態で、いったい何が起こったの?!と現実を受け入れられない私たち。

プラスチックのパネルをバールのようなもので無理やり引き剥がしたようでエアコンのスイッチやら、ハザードのスイッチやら、液晶パネルなどの部品が飛び出してもう見るも無残な状態。

そしてそのバキバキに壊されたパネルの中心にガッシリと佇む「カーナビ」。

あああ・・・狙いはこのカーナビだったのですか・・・・。このカーナビがあったせいで・・・。「あああ・・・盗るならもう少しキレイに盗っていってくれよ(涙)」と言いたくなるような悲惨さです。しかもまだ買って1年も経っていない新車。ショック倍増。

しかも。しかもですよ。
このカーナビはラジオやCDなどのオーディオ関係とDVDの一体型になっていて、このカーナビ本体の中に実はお気に入りのCDアルバムが入っていて取れなくなってしまったことに気付いたときはもう泣きたくなりました。限定版だったのに・・・。亀ちゃんさようなら・・・(涙)

もうとにかくですね盗り方が非常に乱暴なのですよ。取り外し式のカーナビだったらまだ分かるのですが、メーカーオプションのコンソール一体型のカーナビをそのコンソールもろともぶっ壊してまで盗ろうとするそのチャレンジ精神。すごいですね。想像を絶して言葉を失ってしまいます。しかしここまで派手に壊しておいてカーナビを盗れなかったとは犯人もさぞやくやしい思いをしたでしょうねえ。

私のまわりでも身内を含め窓をぶち破られたりして車上荒らしに遭ったケースをいくつか知っていますがここまで手荒な行為は聞いたことがありません。配線を見事なまでにきれーいに切ってカーステレオなどを盗っていくなどあまりにもきれいな仕事で、カーステレオがないのに一瞬気がつかなかったぐらいだといっていた知人を思い出しました。



他に被害がないか確認しましたが、CDやサングラスなど一切盗られていませんでした。車自体を盗ろうとした形跡もなし。そこでまずはとにかく警察に連絡しようと電話をするとこちらへ来てくれるのかと思いきや「おまえが来い」とのこと。緊急性もないから仕方がないといえば仕方がないのですが日本と違う対応に久々のプチ・カルチャーショックを味わいます。

そこで私は予約してある病院に行かなければいけないので自分の車で病院に向かうことに。ちなみにまわりの車はもちろんのこと私の車も一切被害はありませんでした。一方相方はPolice Officeへ向かいます。幸いなことに車は動くし、あんな状態になってもカーナビだけはきっちり作動するのにびっくり。

Police Officeでは車の被害の状況を確認したり犯人の指紋をとることもなく、カウンターで状況を説明して紙切れ1枚のレポートをもらって終わり。とこんなわけで何か盗られてももちろん警察は頼りにならないですし、ましてや犯人が捕まることはないでしょう。やはり自分の身は自分で守るべきということを改めて認識させてくれました。しかもこの紙切れ、保険会社も修理をするディーラーも「そんなの必要ない」の一言。無駄足だったかもしれません。

そして加入している保険会社へ連絡。アポをとってから指定のofficeへ来てくれとのこと。そうですここでも「自分で」出向かなくてはいけないのです。何かと面倒くさがりな相方はイライラ。そしてアポがとれたのは5日後。それまでは修理に出さないようにと強く念を押されました。1日でも早く修理に出したい相方はそんな対応に疲れたのかもうむっつり黙り込んでしまいました。日本の神業的なサービスにどっぷりと慣れてしまっている身にはあれやこれやと自分でやるのはやはり何かとしんどい様子。



そして5日後。自宅から車で20~30分ぐらいのところにある保険会社指定の「Collision Center」へ保険金額の査定をしてもらうために出向きました。日本で言うと「板金工場」でしょうか。そこで査定担当の人が状況を直接確認し、デジカメで写真を撮った後書類の作成。その場で見積もりができました。

はじき出された金額は合計$2756.72。約30万円といったところでしょうか。内訳は窓ガラスが約$200、コンソールボックス部分全体で約$2,100、それに「Labor fee」といういわゆる工賃代が9hrs×$38.00/hrで約$340。・・・想像以上に大きい金額でした。

もちろんComprehensive(車両保険=衝突/Collision以外の損害をカバー)を掛けていたので私たちはDeductible(免責金額)$1000の負担のみ。残りはすべて保険会社がカバーしてくれます。

そこで今回査定してくれたこの工場で修理をしてほしいと保険会社から懇願されたのですが、いくら保険会社の指定工場とはいえ見ず知らずの工場に自分の車を預けるのは気が引けるということで結局自宅近くのディーラーへ預けることに。家からも近く歩いていけるしアメリカにしてはサービスがよくて安心。でも保険会社はディーラーは工賃が高いから・・・とぼやく。そりゃそうだ。でもそれは私たちには関係がないことなので無視することに。

とこんな感じで「ディーラー信仰」的な感覚をもったままアメリカで過ごしているわけですがここアメリカではハッキリいって「ディーラー」っていうのは単なる車を売買する場に過ぎないような気がします。そもそもディーラー自体が個々の会社として独立しているせいなのか「TOYOTA」とか「NISSAN」とか「HONDA」という日本が誇る世界に名だたる会社の看板を掲げているわりには「???」的なサービスなところも多いです。しかもディーラーで新車と一緒に中古車も扱っているのに驚いたこともありましたっけ。こういった感じでこれらのような点に関しては本当に日本とは大違い。

こちらアメリカではそもそも車検の必要がないし、工賃の高いディーラーへわざわざ修理や点検などに持ち込むメリットがいまいち見当たらないというのが正直なところ本音なのですが、かといって街中の評判のいい工場を探したりするのも難しく、新車ということもあって少々高くても修理・点検すべてディーラーへお願いしているというわけです。

なので買うまではあれだけいろいろと手を尽くしてくれたセールスマンも今回のことはほぼノータッチ。まー当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、事故や故障のときなどに窓口となって一手に引き受けてくれる日本のセールスマンはここアメリカには99%いないように思えます。



そんなこんなで保険会社の見積もり書類を手にその足で自宅近くのディーラーへ車を持ち込みました。そこでは保険会社の見積もりの内容以外にも部品の追加などが出てきた場合、そのつど保険会社と連絡をとって確認しながら作業をすすめていくのだそうです。そのときには私たちにもきちんと連絡をするとのこと。思ったより時間がかかりそう・・・。

そしてそれから1週間たったぐらいのときのことでしょうか。なんとあのきちんと作動していたカーナビは新品と交換しなければならないとのことで、その際内蔵されているDVDの関係上カーナビを設置したディーラー(私たちが車を購入したディーラーでもある)でなければ設定してはいけない決まりがあるのだとか。(自分で書いていてもややこしくてよく分からなくなってきた・・・)

ということもあって自宅近くのディーラーから、車を購入&カーナビを設置してもらったディーラーへ修理も含めてすべて引き継ぐことに。(あーホントややこしい)

ということで新品のカーナビ購入代が上乗せさせられるわけですが、その件で保険会社から電話がかかってきました。「あのカーナビはいったいいつ買ったのだ」とすごい剣幕で。

実は車を購入した時点であのカーナビはありませんでした。1~2週間してからある事件があったこともあって、ディーラーにすぐさま注文し取り付けてもらったのです。

相方は取り付けた日付の記憶があいまいだったらしく「保険に入る前ぐらいかな」と答えたらしいのですが、保険会社曰く「保険にカーナビがついているという申告がない。よって保険会社としてはカーナビ自体は免責だ。」というのです。

ここで疑問なのがそもそも契約時にカーナビがありますということを申告するところがどこにもなく、当時カーナビを購入したときに$2,400もかかったのでもう一度検討してもらって何とか保険でカバーしてくれるよう頼みました。

と、そういいつつも私たちは「申告していないっていうのはまずいよねえ。こりゃあカーナビ本体は自己負担かなあ・・・」とほぼ諦めていたのですが、その後保険会社から連絡があり「しょうがないね。今回はOKにしとくよ。そのかわりカーナビはディーラーではなく保険会社が用意させてもらうよ。」との返事が。これまたどうしてそうなったのかよく分からないのですが、理由はあえて聞きませんでした。

ちなみに友人曰く、日本の自動車保険ではカーナビは工具などで外さなければならないように固定して設置されていれば車両本体の一部とみなして「車両保険」から盗難補償されるんだそう。それ以外では積載動産とみなされるので「身の回り品補償特約」をつけないとダメなんだとか。

・・・うーん。こういうことでOKだったのかな・・・? それとも保険期間が始まる前にカーナビをつけていたからOKだったのか・・・? 保険期間が始まった後にカーナビを取り付けていたらアウトだったのか・・・?

その後保険会社の担当がわざわざカーナビを買いに行ってディーラーに届けたと連絡が入りました。購入の明細を見ると1台$1600。1年経って型落ちし相場が下がったのか私たちがディーラーで買った値段より$600も安い。

・・・よ、よく分からん。なんで保険会社はこんな面倒なことをするのか・・・。



でいろんなやりとりの末、最終的にあがってきた見積もり金額が計$4219.76。もし車両保険に入っていなかったら・・・と思うともう((;゚Д゚)ガクガクブルブルもんですよ。

というわけで。

まだ車は修理から戻ってきていないのですが、また車上荒らしにあわないかちょっとビクビク。対策をどうしようかアレコレ考え中です。今回この被害にあったときに車に取り付けられているCar Alarm(純正セキュリティ/アラームシステム)がきちんと作動していたのかふと疑問に思ってディーラーの担当者に相談してみると、Alarmの種類によっては近くで車のドアを閉めたりするだけで鳴り出すぐらい敏感なものもあれば、車両自体に異常を感知した場合のみ作動するもので、いきなり窓ガラスを叩き割るような場合作動しないタイプもあるんだとか!・・・意味ないじゃんヽ(`Д´)ノ

しかし。

今や日本でもそうですが、いかなる盗難防止装置をつけようともプロが本気で狙ってくれば必ず持っていかれるそうです。鉄の棒でできている例のハンドルロック(ハンドル操作を物理的に出来なくする装置)なんかは外し方の専門書も出ていて簡単に外れてしまうそうですよ。そんなわけで特に被害が多発するアメリカにおいては「車両保険」は事故の際だけでなく盗難に対する備えとして大切かもしれませんね。

保険会社は1ヶ月は盗まれた車を探すようですが1~2週間たっても出てこない場合は一般的には絶望的なようです。ということもあってこの相方の車には「Lojack」というGPSで探索する追跡システムを搭載してあります。

しかし車上荒らしはなあ・・・「カーナビはいっそ外してこれからは地図を使用することにする」ということぐらいしか思いつかない・・・(涙)

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by cabayarea | 2006-08-13 04:09 | ( ゚д゚)
Impacted Wisdom Teeth
今まで生きてきた人生の中でこんなにも自分の顔を直視するのに耐えられなかったことはありませんでした。

それはというと・・・



実は、つい先日「智歯(wisdom teeth)」を抜きました。そうですいわゆるあの「親知らず」と呼ばれているものです。ただひとくちに親知らずといってもいろいろありまして、今回抜歯したのは「埋伏智歯(impacted wisdom teeth)」と呼ばれている顎の中に埋っている状態のもの。このような歯を抜歯するためにはもちろん歯茎を切開して取り出すわけですが、ときには歯槽骨(顎の歯が植わっている骨)を削ったりして抜歯したりするそうです。

私の場合、下顎にある、一方が完全に水平(横向き)で埋まっている状態の水平埋伏智歯と呼ばれる親知らず(horizontal impaction)と、もう一方が半埋伏状態で隣の歯に寄りかかっている親知らず(angular impaction)の合計2本。

基本的に歯医者や皮膚科、それに美容院はすべて日本へ一時帰国したときにまとめて問題を解決しているのだけれど、やっぱりせっかくアメリカに住んでいるのだから「異文化体験」をしてみたいというわけの分からない好奇心がむくむくと。

ありがたいことにアメリカにきてからまだ1度もこれといった病気にもならずアメリカの病院にお世話になったことはありませんでした。

しかも在米者の間でちらほらと聞こえてくる例の「日本の歯科医療はアメリカより20~30年遅れている」といったフレーズ。この機会に自分の目で確かめてみよう!と思ったわけです。

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a0027492_18202971.jpgそこでさっそく予約を入れたのが「UCLA School of Dentistry」。あの名門大学UCLAの歯学部です。歯科医療の先進国といわれているアメリカで国をあげて教育や研究支援に取り組んでいる言わずと知れた有名校(らしい)。場所はWestwoodのキャンパス、CHS(Center for the Health Sciences)の敷地の一角に歯学部がありました。

治療の内容によって担当科が違うので調べてから電話。親知らずなどの「抜歯」に関しては「General Clinic(一般歯科)」ではなく「Oral and Maxillofacial Surgery(歯科口腔外科)」で。さっそく電話で「Impacted Wisdom Teethを抜いて欲しい」旨を伝えて予約を取ります。そして予約がとれたのが電話してから10日後ぐらいの日付。なかなか混んでいるようです。

基本的に最初は「Consultation」のみ。(簡単な治療などはその日にやってくれる場合もあるそうです。) まずは受付でどっさりと渡された書類(既往症などのチェックや誓約書?みたいなもの)を流し読みし、ガシガシと次々にサインしていきます。その後待合室でドキドキしながら待っていると、たとたどしい発音で私の名前が呼ばれました。

診療室から出てきたのは若くて肌のきれいなかわいらしいアジア系の女の子。あきらかに「Student Dentist」です。正直ちょっぴり不安に思いつつもお互い挨拶をかわし中へ入ります。

診療室は診療台の椅子ごとに低めのパーティションで区切ってあり、広々とした雰囲気。さっそく診療台に横たわり、歯の状態を見ますが何せ「埋伏状態」なので目視で分かるはずもありません。下顎に2本親知らずが埋まっていることを伝えた後は伝票みたいなものを持って1Fのレントゲン室へ。

薄暗~い室内で顔の前をレントゲンの機械がぐるりと回って放射線を浴びたあと10分くらいで現像出来上がり。金属を詰めた歯の治療跡がありありと写っていて自分自身のであるにもかかわらずなまなましくも感じるレントゲン写真を持ってB1Fにある診療室に戻ります。

レントゲンに写った親知らずの状態を見ながら説明に入ります。顎と歯の間にうっすらと見える白い線を指差しながらかなり力説されたのが、どうやら歯を抜く際に、歯の根がこの白い細長い線にみえる神経に近いと神経が傷ついて唇や顎、歯、歯茎、舌が「麻痺」する事があるとのこと。しかもその麻痺はごくまれに「永遠」に続く可能性もあるというではありませんかー。

「ひい~"Forever"だってよ~(泣)」とその単語が頭の中でぐるぐると駆け巡り、思わずビビッてしまったのが表情にでていたのか、そのStudent Dentistが「ただ確率的は0.00・・・%でゼロに近いし、あなたの場合は神経から離れているから多分OKでしょう」とフォロー?をすかさずいれてくれました。

というわけで腹をくくって治療に同意するサインをし(ここでまたサインです)、そして健康状態や既往症、アレルギーなどの確認。最後に手術時の麻酔方法を「General Anesthesia(全身麻酔)」か「Local anesthesia (局部麻酔)」どちらかを選択して伝えます。

ただ私はこのときこれらの単語を知らなかったので、どちらがどちらなのかよく分からずそのときとっさに口から出た言葉が「・・・どっぷり寝むらせちゃってください」。そんなふうに伝えてしまいましたがきちんと通じたみたいです・・・。

ちなみに「麻酔」を辞書で引くと「anesthesia」と出てきますが、実際麻酔をするときに使われることはあまりなく「numb」という単語を使うそうです。これは他に「しびれた・感覚のない・麻痺した」といった意味もいろいろあるみたいです。

さらに歯科局部麻酔の場合、現在では「Novocaine(ノボケイン)」という麻酔薬を使用することが主流らしく、この薬品名を使って「麻酔をします」と表現することがあるそうです。おもしろいですね。

Consultationが終わって受付に戻り、まず受付で支払いを済ませます。ConsultationとX-rayを含め計$133.00。そして手術日の予約を入れてもらいます。予約日はなんと1ヶ月以上先とのこと。「うそ・・・1ヶ月待ちって・・・ありえない・・・」とウンザリしてしまったのでした。

さらに「手術当日は必ず付き添いが必要でもし付添い人がいなかった場合は手術はキャンセルになります」といった同意書にサイン(またここでもサイン)させられ、術前後の注意点をまとめたパンフレットを渡されます。受付のお姉さんに「前日はNo food, No drink!」と強く念を押されましたが、今この場で言われても1ヶ月先もなのに忘れちゃうよなあというツッコミはなきにしもあらず・・・。

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a0027492_22372423.jpgそしてとうとう手術当日。

前夜から何も食べれず、そして水さえも飲めずかなりツライったらありゃしないです。でも全身麻酔の場合予め胃の中を空っぽにしておくことが大切で、万が一誤嚥などの事故にでもなったらそちらのほうが怖いので、何度も冷たい水でうがいをしたりして喉の渇きをごまかしました。

もちろんこの日は付き添いが必要なので、相方の車で送ってもらうことに。キャンパスに到着し駐車場($8/day)に車を止めて受付に向かいます。受付で「治療費は前払いでお願いね」といわれ治療代計$430.00のCheckを切り、緊張しつつも待合室で呼ばれるのを待ちます。

ちなみにこの430ドルという金額ですが、1年前に日本で上顎の親知らずを2本抜いたときに約3~4万円ほどかかったので、一般的に医療費が高いといわているアメリカなんですが、金額的にはさほど変わらずちょっとびっくりです。

しばらくして登場したのが、前回診てくれたStudent Dentistの女の子ではなく、30代後半ぐらいの(もしかしたらもっと若いのだろうけどどうしても老けてみえる・・・)背の高いがっしりとした体格の男性。挨拶と自己紹介しつつ握手をがっちりと交わします。握手かわしちゃうあたりはやはりアメリカらしいなと。

ネームバッジをちらりとみると「Resident Dentist」の文字が。ちょっとだけホッとする私。ここでは名前の頭文字をとってG先生と呼ぶことにしましょうか。

診療室に入りもう一度レントゲンの写真をみながら手術する内容の確認。さらに再度「神経に近いので麻痺する」というリスクの説明。そしてここでもまたもや書類にサイン。

サインばかりさせられるので、何かあった場合自分の立場が弱くなったような感じ(実際弱いんだと思うけど)がして気が滅入りっぱなし。

「薬のアレルギーとかないよね?」と再度尋ねられ、「問題ありません」と答えると「OK!じゃあ始めようか!」となんとも明るいトーンの一声で始まりました。

座っていた椅子のシートが倒され横になり、私の腕に血圧計、指先にはパルスオキシメーターを挟んで脈をとり、胸元に心電図のパットをつけはじめるG先生。数値を確認して「問題ないよ。ばっちりだね!」と微笑みます。喉のあたりに聴診器を小さくしたようなものをおかれ呼吸のチェックも。

すぐ麻酔を打たれて先生たちがずらりと揃って始まるのかと思いきや、器具をがちゃがちゃとそろえたり、薬品を用意したりとすべてG先生1人でこなすあたり日本とはちょっと違うような気が。日本だと助手みたいなポジションの人が数人ついてサポートするような気が・・・。

しかもこんなふうにいろいろ揃えたりしているわりには、教授や他のResidentたちと会話をかわしながらの~んびり準備しているので「アメリカらしいなあ」と思いつつ、わけのわからないごっつい器具などが私の眼前でばしばし用意されていくのを見るにつれて緊張が高まってきてしまいました。自分の顔が何気にひきつっているのが分かります。

そんな落ち着かなさそうな私をみて「大丈夫だよ」と何度も声をかけてくれるG先生。点滴を打つために右腕の静脈に針を刺そうとするのですが、私の場合血管が細くて分かりにくいのか「う~ん」と困ったようなイヤな顔をされたことが昔からたびたびありまして、おなじくG先生もとまどいを隠し切れないご様子。

「刺しているのを見ないほうが痛くないよ。見ないで~」と言われたのですが、ぶすっと刺された瞬間、まじまじと見つめてしまいました。この刺す瞬間って鼻毛を抜くことなんかに比べたらなんてことのない軽い痛みだと思うのですが・・・。

G先生、針を刺すやいなやムニムニッと皮膚の下で針を動かしたので、一瞬「おや?もしかして刺し間違えた?」という気がしたのですが、ちゃんとうまくいったようで「ほらもう終わったよ!痛くなかったでしょ~!言ったとおりちょっとひねっただけでしょ~」とおっしゃる。なんだかまるで自分が注射嫌いの小さい子供のような気分になってしまいました。

ここでズボッと鼻の穴にス~とする空気がかすかに出ているようなチューブを入れられ、点滴がポタポタと始まりました。すると目の前に太いホースのようなものがぶらり。その先にはこれまたものすっごいごっついドリルのような機械がついています。

それで私の緊張はピークに。

足ががたがたと震え始め、点滴の液体が入った袋ををつるしている台がカタカタ・・・と音をたてて揺れています。椅子とつながった小さなテーブルがこの私の震えのせいでカタカタと揺れてその上に並べられている器具もカチャカチャと動く音がするほど。「リラックスして~」と言われれば言われるほど緊張のあまり激しく震える私の体。・・・本当に小心者です。

「な、なんでこんなに時間がかかるんだ~。は、はやく私に麻酔を打ってくれ~!眠らせてくれ~!」と心の中で叫んでいる私の目にはうっすらと涙が浮かんでいたと思います。・・・本当に臆病者です。

G先生が誰かに「ドラッグもってきて~」と頼む声が聞こえました。「今から麻酔をかけるからね~。体重はいくつなの?」とG先生が質問。パウンドでの自分の体重がわからないというと「キログラムのほうが助かる」との答え。体重を伝えてここでやっと麻酔の登場。ここまでたどりつくのに多分20~30分はゆうにかかっていたように思えます。麻酔というのは患者の意識をとるだけでなく、手術というストレスから患者を守ることが最大の目的ともいわれているのでもう少し配慮があってもよかったのになあ・・・。

点滴のチューブをはずし、そこから注射器で麻酔を。いわゆる静脈麻酔と呼ばれるものですね。

ただ、麻酔を入れた瞬間に「ガクッ」と深い眠りに落ちるのかと思いきや、しばらく意識はそのまま。酒飲みは麻酔にかかりにくいのでしょうか。G先生に「全然眠たくならないよ~」と訴えると、「Sleepじゃなくて"Drunk(酩酊)"の状態になるんだよ」とのこと。

「へえ~Drunkかあ。酔っ払うのか私~。うわははは~。」とニヤニヤしながらそうつぶやいていた私は端からみると相当不気味だったと思います。というかその時点ですでに麻酔が効いて酔っ払いの状態になっていたのだなと思います。

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はて?
G先生とそんな会話を交わしたあたりからパタリと記憶がありません。

「目覚めたら手術は終わっていた」というシチュエーションが理想的なんですが、世の中そううまくはいかないようでして。

鈍い痛みに気付いて目を覚ました私は、抜歯が困難といわれている水平に埋まった右側の歯で悪戦苦闘しているG先生とは別の先生の姿がぼんやりと目にうつりました。ですが意識が混濁していて、目線が思うように定まらず当然その先生が誰だったのか最後まで分からずじまい。もしかしたら教授だったのかな・・・。

というわけで、どうやら途中で麻酔が切れてしまったようです。

とにかくそれはそれはもうものすごい痛みだったのですが、まだ意識はボーーーッとしたまま。朦朧としつつもその痛みには耐えられず、「m・・・medication, please・・・!」とロレツのまわっていない状態で何度も訴えた私。あえて乱暴に直訳すると「ヤクを打ってくれ!た、頼む~!」ですねこれ。

「無意識」に、しかも「英語」で、さらに「medication」という単語を使っていた自分に驚きなのですよ。アメリカに来て3年も経つと言うのに英語が上達したという気がまったくないので。というかmedicationなんていう単語、いったいいつどこで覚えたのだろう・・・。

そしてとうとう痛みとの戦いに敗れしくしくとべそをかきだす私。

どうやら麻酔のせいで「理性」というものがふっとんでいたようです。(ということにしておいてください) その昔、1度泥酔して号泣してしまったことがあるのですが、こういうのはタガが外れたとでもいうのでしょうか人間って普段はすごく理性でコントロールして生きてるのだと実感いたしました。

一方、助手のような女性が「これで終わりよね?」とG先生に尋ねています。すると「いや。まだ左側が終わってない。」と答えるG先生。それを耳にした私は「ひ~まだ終わってないの~(泣)」とかなり気分が滅入り涙そうそうならぬ涙ボロボロ状態。

もうひとつ。実はたぶんこのあたりで、私は「抜いた歯をくれ」としつこく訴えていたのをなんとなく覚えています。ようやく通じたのか先生が血まみれになった歯を渡してくれてとても満足した気分になった記憶があるのです。意識が朦朧とした中で、英語で言っていたことにも驚きなんですが、とにかくなぜこんなことをいっていたのか分からず自分が不思議でなりません。というかなにか恥ずかしい・・・。

その後麻酔を追加してくれたみたいで、再び記憶が飛びました。左側の抜歯の記憶がまったくないのです。そして手術が終わったのか誰かが毛布をかけてくれたのは覚えているのですが、そこからまた眠りについたみたいです。

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気がつくとそばに相方が。
呼ばれた相方は診察室に入ってきて迎えにきてくれたようです。かかった時間は病院に着いた時刻から数えてトータル約2時間半ほど。

もうこのあたりの記憶は本当にかなり曖昧です。相方の話によると目覚めた私は先生から薬の説明をうけていたらしいのですが、私自身まったく記憶がないのです。その様子といえばうんうんと頷いて聞いていたらしいのですが、とにかく記憶がまったくないので「終わった後なにもアドバイスもせずG先生は不親切だ」と思っていて、実際相方に本当のことを聞くまで誤解していたほど。

さらに「血まみれの歯をもらった」はずなのに手元にないので、「おかしいなあ」と思いつつ相方に尋ねると、どうやら目覚めたあともG先生にしつこく「歯をくれ」「抜いた歯を返してくれ」と頼んでいたらしく、「衛生上の理由で渡せない」と断られていたらしいのです。さらには迎えにきた相方を見つけるなり「歯くれないんだってよ~」とぶつぶつ文句をいっていたらしいのです。これもまったく憶えていない・・・。

そして受付で1週間後にある再検査の予約をとり、帰宅の途へ。駐車場からエントランスまで車をまわしてくれた相方にありがとうと言って中に乗り込むやいなや、止血のために口の中に挟んでいた血だらけに染まったガーゼをなぜか「ベっ」と吐き出す私。「うわわ!シートが汚れるだろっ!」と激怒している相方をよそに相変わらずぼ~っとしている私は知らん顔。普段ではありえない行為。これもすべて「麻酔」のせいだと思われます。

帰宅途中にスーパーへ寄りインスタントのおかゆやポタージュ、ウイダーインゼリー、それに熱冷まシートを買ったりとして買い物を済ませる相方。もちろん私は車の中で横になって寝ていました。

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a0027492_205577.jpg家についてからは処方箋をうけとって買っておいた薬を飲みベッドへ直行。

薬は「Amoxicillin」というペニシリン系の抗生物質と鎮痛剤の「Hydrocodone」。このHydrocodone、アメリカでは大衆薬だけど日本では麻薬に指定されているため使用禁止らしいです。そのせいかどうかは分からないのですが、これがかなりの効き目で飲んでしばらくするとふわっとくるような眠気と軽いめまいが襲ってきました。まるで麻酔をかけたみたいです。もちろん痛みもどこかへと消えてしまいぐっすりと眠りにつくことができました。

そして16時間ぐらい爆睡していたのでしょうか。起きるとものすごい倦怠感です。喉が渇いたので水を飲もうとキッチンへ行くと冷蔵庫の扉になにやら張り紙が。

これ、相方がいろいろ調べて「抜歯後の過ごし方注意点」を紙に書き出してくれていたのでした。気が利くではないですか~。ちょっと感動。内容はというと・・・

1. ウイダーインゼリーはそのまま吸って飲まないこと!皿にうつしてスプーンで!
2. 強くうがいをしない!するならぬるま湯に塩をとかしたもので。
3. 最初は具のないスープをとったほうがいい。

の3点が簡単に殴り書きしてありました。ふむふむと読んでいると背後からいつのまにか相方が寄ってきて補足説明が。彼の説明によると特に「Suck(吸う)」行為は厳禁なんだそうです。ストローを使って吸ったりするとBlood Clot(血餅)がはがれてDry Socket(抜歯窩治癒不全)というキケンな状態になりやすくなるらしいのです。ですがこの点に関して日本で親知らずを抜いたときは言われなかったのはなぜ・・・???

ベッドに横になっていると何ともないのだけど、起き上がって歩いたりすると頭痛と吐き気で5分と立っていられない状態に。これも麻酔の合併症なのでしょう。本当にこれだけはつらい。この状態が2日間続きました。

実はこのとき15年前に経験した盲腸の手術のときを思い出しました。そういえば今回もそのときと同じ症状になったのですが、ただあのときは頭をほんの2~3センチちょっと動かしただけでゴーンと頭の中で鐘が鳴り響くようなものすごい頭痛、それに吐き気もひどく、食べられるものといったら冷たくした「イチゴ」のみ。一歩たりともベットから起き上がれない状態が1週間ほど続いてこれまたかな~りツライ思いをしたのでした。

調べてみるとこれら盲腸などの手術などで行われる「脊椎麻酔」は早い時期に座ったり立ったりすると、脊椎麻酔後頭痛といって頭痛や吐き気が起こることがあるのだそうです。そういえば「術後は早く治るために歩いたりして体を動かしたほうがいい」という何が根拠なのかよく分からない父のアドバイスにしたがって、売店で雑誌を立ち読みしたりと病院内をうろうろしていた自分。・・・素人のアドバイスは無視するべきでした(涙)。何事も術後は絶対安静ですね。

ちなみにこの盲腸の手術入院で5kg減。青春まっさかりのこの時期に太っていた私は痛みなどの苦しさと引き換えにダイエットに成功したというわけです。

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そして術後2日目にはSwelling(腫れ)がピークに。顔の形は真四角になり、もうこの世の人間とは思えない有様です。奈良の大仏か、はたまた多摩動物園のカバかと見間違えてしまうほど。想像を絶するほどの腫れようで鏡で自分の顔を見るたびに本当に物悲しくなります。とくに水平に埋まっていた歯があった右側の腫れが特に激しく左右アンバランスな輪郭。治らずに一生このまま腫れた顔になってしまったら・・・と考えるだけで鬱な気分が襲ってくるほど。

そんな私のブサイクな顔をみるたび、「プッ」といったようなこみあげてくる笑いがこらえられない様子のうちの相方。本当に失礼なやつです・・・。

と、同時に腫れている部分の皮膚の色が顎から首にかけて黄色く変わりました。これは内出血によるもので「血腫」というそうです。

とにかく最初のうちは体調もなかなかよくならず、あっさりとしたゼリーを中心にインスタントのポタージュを飲んだりと水分をたくさんとるように心がけました。

ですが4日目を過ぎたあたりから体力も回復。体は元気なのに食事が思うように摂れないというは本当にイライラするものですね。やがて食欲が抑えられなくなり、痛みとは別の意味でツライ思いをします。とにかく固いものが食べたい!赤身のステーキや焼き鳥などをかぶりつきたくてもうたまりませんでした。コリコリのミル貝やあわびが食べたい~と毎日イライラ。

しかしまだ口も思うように開かず、顎の痛みや違和感などもあるので食事もままならないのです。かといってウイダーインゼリーやおかゆにはもううんざり。

というわけで今回このような状況で大活躍してくれたのが、暑い夏の味の代表でもある「そうめん」。さっぱりつるつるして喉越しもよく柔らかめに茹でれば、噛まずにそのまま飲み込んでもまったくOKです。しばらくの間は毎食「そうめん」で食いつなぎ生きている状態でした。ズルズルと勢いよくすすることはできませんが麺類はほとんど噛まずに飲み込んでいる習慣があるせいか、よく噛んで食べるご飯やパンなどに比べて歯茎に当たることもなくスムーズなのです。

さらには、アボガト、フムスといった豆をすりつぶしたものを食べたり、ウニやマグロ、ハマチなどの刺身は念には念を入れて細かくたたいてから食べたりとそれはもう赤ちゃんの離乳食並み。とにかく食事のバリエーションをつけてなるべくストレスがたまらないように努力しました。

多少の違和感は残っているものの血腫とともに腫れも6日目を過ぎたあたりでなんとか収まりつつありました。



そして1週間後に検査のため、病院へ向かおうとすると・・・そこで思いもよらない事件に遭遇してしまうことに。


つづく。


The UCLA School Of Dentistry
Center For The Health Sciences
10833 Le Conte Ave
Los Angeles, CA 90095
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by cabayarea | 2006-07-31 03:52 | ( ゚д゚)
text book
a0027492_12374696.gif実はここ最近、某国出身のクラスメートから「集中攻撃」を受けていた。



「私は日本人のことは好きだけど、日本の首相と政府が大嫌い!」

キタ━(゚∀゚)━! と身構える私。

おぉ言い切ったね君。とりあえず「あなたの国の首相じゃなくてよかったねえ」と答えておく。

「あの島はもともと私たちの国のものなのにどうして日本はあんなことをするの!」
ああ、しつこいなあもう。「そうねえ、あのあたりはおいしい魚がたくさんいるからねえ・・・」と訳のわからないことを言って煙に巻いてみる私。

「日本の歴史の教科書ってどうして本当のことをかかないの!おかしいわ!」
・・・。
「ごめんねーもう何十年も前の教科書のことなんて忘れたっつーの」とかわしてみる私。

日本の教科書は歴史を捏造しているのか?

というFrashをメールで送りつけたろかほんとに(怒) 人の国のことを堂々とあーだこーだと言えちゃうっていうのはまだ何も知らなくて若い証拠なんですかね。

お互い素晴らしい国なのにこんなつまらんこと(といっても相手には重要なことだったりするからタチが悪いんですね)で・・・と思う今日この頃でした。
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by cabayarea | 2005-04-23 18:16 | ( ゚д゚)
Thousands Protest Iraq War in SF
a0027492_134549.gif今日は全米のいくつかの主要都市にてイラク戦争に反対する大きなデモ行進が行われました。もちろんSan Franciscoも何千人もの人々がMission districtのDolores Parkに集結。その後イベントではなにかと人々が集結する場所のSan Francisco City Hall(市庁舎)まで戦争反対のプラカードとスローガンを叫んで練り歩きました。

昨夜、うちの相方にこのデモ行進に参加しようと誘われていたのですが、EssayのRevision(といってもほとんど最初から書き直したようなもの)とMidtermの準備で1週間の疲れがかなり溜まっていており案の定私は寝坊。起きたのが15時。とっくにうちの相方は友人とデモに出かけていった後でした。

で、参加した相方曰くかなりエキサイティングでいろいろな話も聞けて有意義な時間を過ごしたとのこと。くーっ私も行けばよかった。Newsやラジオを通してでなく一度でいいからイラク戦争に反対するアメリカ人の生の声を聞いてみたかったかも。

・・・でも朝早いのはやっぱり苦手です。とにかく早く戦争が終わることを望みます。

If you're not active, and if you don't fight, it makes things much worse.
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by cabayarea | 2005-03-20 18:51 | ( ゚д゚)
Homeless
a0027492_14314265.jpgWhat the Hell Is Going On? - 日本のホームレス対策

pinkyj211さんのところからのTBです。

自分がよく遊んでいた浅草・隅田川沿いにはホームレスのテントがずらりと並んでいました。会社へ行くときに通った新宿西口、または公園にもホームレスがたくさんいました。営業で回っていたとある下町の地域に日雇いの仕事を求めてホームレスの人たちが集まる場所があることも知りました。以前TVで「極寒の地 北海道・旭川のホームレスたち」を見てあまりの過酷さに涙を流したこともありました。

そして今住んでいるBerkeleyのホームレス。Berkeleyもたくさんのホームレスがいます。特にTelegraph AvenueはPeople Parkがあるせいなのかホームレス密集地域といっても過言ではないくらいです。以前、Berkeleyの市長がホームレスの気持ちを理解するためといって、そのPeople Parkで一晩野宿したこともありました。

この前、ホームレスがうちのアパートは住居者以外は入れないようになっているのにどうやって進入したのかうちの部屋のまん前の廊下で寝ていたらしく、すごい臭いが染み付いてしまいしばらくとれなくなってしまったことがありました。息をとめながら足早に通り抜けなければいけなかったほど。

またSan Franciscoのホームレスもすごいんです。車の中央車線に立って信号で車がとまると片っ端から「Change, Please.」といってすばやく車を1台ずつ回り歩くのです。危なくないのだろうかとそっちのほうが心配でならないぐらい。そのときに車内はある一種のヘンな沈黙が流れるんです。「あぁ・・・見てみぬふりをするべきか・・・それとも$1ぐらいあげたほうがいいんだろうか・・・」というような迷いというか。私なんか毎回そんな葛藤を繰り返すばかり。でも窓から手を出して渡すのもやっぱりちょっと怖いんであります。

あと、杖をついて歩く片足のないホームレスも時々見かけます。こういう人たちには無条件にお金を渡したくなりますね。そういえば昔、千葉の成田山参道には、白い着物をきた両足のない人がアコーディオンを弾きながら「戦争で両足を失いました。お金を恵んでください」と訴えていました。その人を見て子供心にすごくショックだったのを今でも覚えています。それで父に小銭をくれとせびり、そのアコーディオンを弾いていた人に渡したことがありました。しかしそのアコーディオン弾きのおっさんはただ頭を下げただけでにこりともせず、なんか逆に怖かった気がしました。最近は見かけません。

比べて、この前会ったこちらBerkeleyのホームレスは謙虚かつ小銭をちょこっと渡すとオーバー気味に喜んでくれました。そして最後に「God bless you!」と一言。かぶっていた帽子をいきなり誉められたこともありました。

こうやって思い起こすと自分にとってホームレスって意外と身近なことなんだと認識させられます。なのにアメリカに来るまで特に考えたこともなかったのです。1つ思うのは、ちょっとしたコミュニケーションがあるないで市民のホームレスに対する意識も随分違ってくるのではないかと。

もちろんたいしたことはできないけれど、せめてホームレスの人たちも幸せであるようにと私は仏様に願いたいです。

追伸:今日はあられが降りました。その後にできた虹です。
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by cabayarea | 2005-01-29 15:53 | ( ゚д゚)
Seismic Clouds
a0027492_1433689.jpg今朝、起きてネット配信のニュースを見てびっくりしました。新潟県で震度6強の大きな地震があり死者がでているようです。昨夜、台風23号のNHKニュースを見て驚いていたのに、今朝は地震のニュースです。しかも生後2ヶ月の幼児が余震のショックで突然死って・・・。まだ地震が何かもわからない年齢なのに本能がそうさせてしまったのでしょうか。

亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに被災に遭われた方々へお見舞い申し上げます。

昨日、相方が「とあるもの」の写真を撮ってたのをふと思い出しました。突然ベランダからわたしのBlog用のカメラを貸してというので、何かと思ったら「地震雲だよ。地震雲。」と少し得意げに言うのです。直感的にそう思ったようで何枚かデジカメにおさめたようです。私は「それって飛行機雲かなんかじゃないの~」というと、興奮して「こんな長くて太い飛行機雲あるわけないじゃん!」と吐き捨てるように言われてしまいました。

確かに見てみると、すごく太くて長くて不気味です。飛行機雲じゃあないですねこれ・・・。確かに地震雲に見えなくもない・・・。(←まだ信じていない私)ちなみに日本の方向である「西の空」です。

で、今朝この地震のニュースを見て、ふと「昨日の写真と関係あるのかなあ・・・」と私がぽつりとつぶやいたら、相方は「あ!それすっかり忘れてた。ははは」と。あんなに興奮してたのに。そんなもんですね、人間なんて。
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by cabayarea | 2004-10-24 04:46 | ( ゚д゚)
ground zero
a0027492_1872087.jpg9/11 Nine Eleven 忘れもしないあの一日 Part 1からTBさせていただきました。

明日はNYにあったWorld Trade Centerがテロ攻撃によって崩壊し何千人もの命が失われた9.11です。あれからもう3年も経とうとしていますね。私はそのとき日本にいましたが、あの映像をみたとき本当に恐ろしくて朝まで怖くて寝ることができませんでした。ビルから人が飛び降りていくのを何回か見てしまって・・・。

上の画像は去年NYに訪れた時に撮った「ground zero」です。このとき実はあの「NY大停電」の真っ只中でした。

着陸直前に機内にて、空港が停電でマヒしているとのアナウンスがあった(らしい)のですが英語が分からずよく状況が飲み込めないままJFK空港に降り立ちました。そこからがもう大変でした。

まず電気がすべてストップしているのでBagage Clameにいってもコンベアが回っているはずもなく、荷物がちょうど出てくるコンベアの入口で空港の職員が懐中電灯を片手にスーツケースの札に書いてある名前を一人一人読み上げて呼ばれた乗客順に各自それぞれPick Upしていったのでした。

その後旅行会社の方が車で迎えに来てくれていたのですが空港からホテルまで通常だいたい30分ぐらいで着くはずのところが3時間以上かかってしまいました。途中、交通封鎖された橋を大勢の人が歩いて渡っているのをみてすごく驚いた覚えがあります。あの時は地下鉄も止まっていたので自宅へ歩いて帰る人の波だったのですね。

ホテルにやっと着いたもののもちろんチェックインできるはずもなく、とりあえず大きな宴会場で休んでくださいと言われそこでまた3時間ぐらい待ったのですがさすがに横になりたかったので部屋になんとか通して欲しいと交渉。その後部屋にチェックインできることになったのですが時間はもう夜の11時近く。スーツケース+キャリーケースを非常階段をのぼり11階まで運びあげたときはもう体力の限界でした。手にマメできましたよ・・・。

とにかくすべてが真っ暗なのでろうそくをもらいにいったのですが、ホテルにはないというのです。外にでても初めてのNYなのでどこに何があるかもわからず捜し歩きまわった結果、Barに置いてあった小さなテーブルキャンドルを拝借。その日一日は水以外は何も食べることができず空腹のままやり過ごしました。せっかくNYに来たのになんだかみずぼらしい気持ちになりました。電気がないってこんなに心細いものなんだと涙がでそうになりましたよ・・・。

その後このホテルは3日間、シャワーが使えず、トイレもセンサー反応式で水が流れる為、汚物が溜まり放題で悪臭が漂ってました。さすがに私の体も8月のうだるような暑いNYなのにシャワーも浴びれず、今までにない特殊な臭いを放っていました・・・涙

NY市内観光のキャンセル→返金、地下鉄Stop→その辺をぶらぶらするしかなく・・・、ナイアガラの滝→停電のため水力発電の水をどんどん使ってしまった→水位が下がった為船での滝壷ツアーがキャンセル・・・などなどその停電の余波はいろんなとこにあったわけでして。

停電の夜は、道路に椅子とテーブルを引っ張り出してきてトランプしたり、BBQしたりしているのを見て「アメリカ人ってすごいな・・・」と思ったのであります。

なにはともあれ、これがテロじゃなくてよかった・・・とほっとしてSFに帰ってきました。そんな経験もあって、家にはたくさんのろうそくがあり、水の買い置きが常にあるのでした。
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by cabayarea | 2004-09-11 15:35 | ( ゚д゚)
Shrimp burger
a0027492_1384798.gif今学期はNutritionのクラスをとっているのだが結構楽しい。(もちろん英語なので時々苦痛)今日クラスメートとFast Foodについて雑談していたときに、私が小さいときはFast Foodを食べに行くのはちょっとしたイベントだったと話したらすっごい怪訝そうな顔で「本気(マジ)?」と言われてしまった。しまったそんなこと話すんじゃなかった。授業でFast Foodはいかによくないかについて講義を受けてきたばかりだったのにである。まーいっか。

私が生まれて初めてハンバーガーなるものを食べたのは11歳。(多分。)外食なんて滅多にしない家だったので母親の機嫌がいいときだけ買い物のついでに食べさせてくれた。あと食がかなり細かったので母親は間食することに少し神経質になってたようにも思う。今思うとしぶいチョイスだが食べたのはロッテリアの「えびバーガー」だったと思う。そのときは秋田県と青森県の県境近くに住んでいたのだがロッテリアしかなかった。選択肢がまったくなかった。秋田市に「サーティワンアイスクリーム」の店舗ができたらしいと聞いてえらくたまげたのを今でも覚えている。日替わり31種類のアイスクリームが売られているというのにすごいしびれてしまったらしい。ちなみにアメリカでは「Baskin Robbins」と言わないと通じない。

そして「スパゲティ」ではなく「パスタ」なるものを初めて食べたのは21歳だった。「ペスカトーレ」とかいうそのときはなんのパスタだかさっぱりわからないものだった。スパゲティといえばミートソースかナポリタンしか知らなかったのであった。ペスカトーレをごちそうしてくれたのは、かの「ホワイト餃子」を教えてくれた友人であった。当時このお店、デザートのプリンが有名だったらしくこれまた初めて「なめらかプリン」なるものを体験。あれ以来プッチンプリンを食べていない。晴れて社会人となり人付き合いも含めて外食する機会がぐっと増えたおかげである。

そしてきっと初めて「棒棒鶏」を食べたのが23歳。中華料理なんて「丸美屋の麻婆豆腐」ぐらいしか知らなかった。「鶏肉のカシューナッツ炒め」もきっとそのあたり。カシューナッツやピスタチオなんていう存在さえもそれまでまったくしらなかったのでなんじゃそりゃーという感じであった。マカデミアナッツとカシューナッツの違いもわからなった。柿ピーのピーナッツが精一杯である。学生時代の友人達と再会して飲んだときに、ある友人が「私ばんばんじーすきなのよー」と言っていてなんのことかさっぱりわからなかったのはきっと私だけだったに違いない雰囲気が流れていた。そうそう「回鍋肉」もはじめて食べたのが22歳あたり。

昔は「焼肉」は高級というイメージだったせいか、今のように気軽に食べれられるファミレス形式のものなんてものがなかった(ように思う)ので「焼肉」もまたデビューがかなり遅かった。おかげで随分とハマった。家で家族とホットプレートを囲んで食べる焼肉は焼肉ではないと思ったぐらいだった。その差に愕然とした記憶もあり。

あとは本能の赴くまま財布の中身が許す限りいろんなものを食べ歩いたりもした。韓国料理、フレンチ、鉄板焼き・・・etc。ラーメンもいろいろ食べ歩いた。小さい頃はたまに家族でラーメン屋にいってもラーメンが食べれなかったので一人だけチャーハンを食べていたのもちょっと懐かしい・・・。

大人になっていろんな人と知り合って一緒に食事を共にするのはすごくいいことだと思う。お互い食の好みが違えばいろいろなものを食べる機会を得ることができるから。だから親しくなった人にはだいたい「好きな食べ物」とか唐突に聞いてしまう。きっとそんなことに興味のない人には「食い意地のはった女」だと思われてるだろうなと思う。(ひいてるね、きっと。)いつまで続くんだろうこの「色気より食い気状態」と思う今日この頃である。
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by cabayarea | 2004-08-28 16:49 | ( ゚д゚)